【2015/5/27の記事】私が決めたときのこと
先週、一緒にゆかり飲み幹事をやっている方から、
こっちに戻ってきて感じるひとつひとつのことをちゃんと記録、記憶しといた方がいいねー、と言われました。
あと1年も経つと地域に慣れてしまって、今のこの感覚がわからなかくなってしまうよ、と。
私がUターンを決めるまでのこと、決めたあとのこと。
横浜を出て地元にかえってきたときのこと。
それぞれの段階において、私がどんな風に考えて、どのように決めてきたのかを記録することは、
今都会で働きながらUIターンを迷っている同年代の人たちを、
ほんの少しだけ、ほんの少しだけだけど、応援できるのかなーと思いました。
なので書きます。
私がUターンを決めた時のことを!!!!!
このタイトル、地元カンパニー代表の児玉さんが書いていた記事からパクりました。
「僕が決めた時のこと」
http://www.jimo.co.jp/blog/kodama-blog/4900/
この記事、すごくいいです。
そっか~そうだよな~と思うことが沢山あって。
私自身、すごく迷いに迷っている時に、
この記事を何度も読んでました。
「そうだよな~決めるしかないよな~でも決められないよ~」ってうわーんってなって、
あれやこれや考えて、
迷ってまたこの記事を読んで
「そうだよな~決めるしk (以下略」となってました。
無限ループです。
というわけで、話は戻って、私がUターンを決めた時のことをかきます。
いつかUターンをしようと思ったのはもうかれこれ大学4年生の時(そのときのことはまた今度)。
とりあえず、地元に戻って何かするなら力をつけなくちゃと思って
2009年の春に自動車メーカーに就職。
ふわふわしていた「いつか地元に帰ろう」の「いつか」がぐんと近づいたのは、
社会人6年目の時。DKdoという上京してきた道産子の集まり(会社)でした。
会社の代表が北海道にUターンしたり、
そこで知り合った同郷の女性もUターンを決めていたりと
清々しいくらいにすかっとUターンを決めていた人たちがいたわけです。(しかもみんな女性。女って強い)
私が「いつか地元に帰りたいです~」なんてふんふんぼやいている間に、
周りの人がどんどんUターンに向かっていったことがすごく羨ましかったし、
羨ましがってる自分に気づいた時に、
「ああ、自分はやっぱり地元で働きたいし、そろそろ帰りたいんだなー」
と、やけに冷静に客観的に思いました。
そうして6年目の夏、Uターンを決めました。
それも1か月で。
超スピード決断だったけど、
でも今思うとこの1か月は毎日すごくすごく苦しかったです。
大げさにいうと、息もできないくらい苦しい。仕事どころじゃない←
児玉さんも言っているけど、決めるってすごく苦しい。
じゃあ、どうして決断できたのかと。
今思うと、3つのことが重なったのかなーと思います。
①会社でこの先やりたいことが無くなった。
会社のキャリア面談とかで、その前の年くらいから「これがやりたいんです!」と言えることが無くなってしまった、というか見えなくなってしまいました。
これだけ書くとネガティブだけど、Uターンを決意するには大事な要素だったなー。
そういえば、1年前くらいから
ジョブズが実践していた「明日死ぬとしたら、今日やろうとしていることは本当にやりたいことなのか?」
みたいな質問も毎日していました。
って感じで自分を追い込んでいました。笑
②しごとが見つかった。
正確に言うと、しごとが決まったわけでなく、このしごとなら地域で働くのもいいかも、と思えた魅力的なしごとの存在を知りました。
それが地域おこし協力隊でした。
Uターンで一番のネックはやっぱり魅力的なしごとが見つかるかどうかだと思います。
IT系とかクリエイターとか、手に職で場所を選ばない働き方ができるならまだしも、
私は別に資格があるわけでもないし、マーケティングっていう分かり難いものだったので・・・。
ネットで職を探してみたけれど、レジ打ちとかじゃがいも仕分けのような仕事しかみつからない。
親に聞いてもぱっとした答えが返ってこない。
うーんうーんって毎日うなったところに、
同郷で来年Uターンする女性が、協力隊の存在を教えてくれました。
よければ、一緒にやらない?と。
一人でやるのはちょっと怖かったけど、2人なら何とかなる気がしたし、
やりたいしごとがないなら、自分でつくるしかないか!とガラッと思考を転換できたのは大きかったです。
③お金の問題を自分と夫婦の中とで解決できた。
夫婦そろって日産自動車に勤めていたから、たぶん年齢の割には稼げていたのかなーと思います。
だから、私は収入ががくんと減ることに相当不安を感じていました。
夫はあまりお金に執着しないタイプなので、不安に苛まれているのは私だけ。笑
当初の予定では、
「あと数年は働いて~マイホームの頭金を貯めて~子供もほしいから産休育休までとりたいな~
その後職場復帰して~(ふんふんふんふん♪)」
みたいなことを考えていました。
でも、日に日に地元に帰りたい欲は高まるもので。
しかも、子供なんてそんなほしいと思ってすぐに授かるものでもないし。
いつ来るかわからない未来のために今を生きていいのか?みたいな。
もやもやしては、おっとを「ウオーキングしよう!」と誘って、
近所を歩きながら
「地元に帰りたい。でもお金どうしよう、貯金しといたほうがいいよね・・・」
みたいな話を延々としていました。
(私は一人で考えるとすぐに行き詰るので、おっとの頭や周りの人の頭を借りないとだめなのです・・・)
毎日のようにおっとにもやもやをぶつけていたとき。
おっとが
「○○(私)にとってお金ってそんなに大事なの?」
と聞いてきて、そこでハッと気づきました。
そうだ、私にとってお金ってそんなに大事じゃないや、とw
やりたいことをやる方がよっぽど大事だし、
それに家族がみんな幸せなことのほうが大事だし、
いくつものナリワイを持てば一つの仕事で稼げなくてもなんとかなるし、
そうやって早めに地方での稼ぎ方を考えていけばなんとかなりそうだよね、というのが
私の中ですとんと落ちました。
そして、それを夫婦の中でちゃんと合意事項にできました。
余談だけど、もし昇格(昇給)してしまって
これ以上稼げるようになったら、もうお金に目がくらんで逃げられないなとも思いました。
という感じです。
悩んでいる期間は、就活の時の自己分析のようなことをずーっとしてました。
結局、私って何がやりたいの?とか
自分の中で様々なものへの優先順位をはっきりさせたりとか。(夢、仕事、家族、友達、ワークライフバランス、お金etc)
でも、あの時あれだけ苦しみながら悩んだから、
決めた時は心底スッキリしたし、周りからは「憑き物がとれた」なんて言われました。笑
決めるって本当に苦しい。
でも苦しんで決めた分、その先にはぐんと良い景色が広がっているので、大丈夫です。
【2015/5/24の記事】地域おこし協力隊として地元で働くことの5つのメリット
域おこし協力隊として地元大樹町で働き始めて
約2か月が経ちました
少しずつ顔見知りの方も増えてきて
お願いされる仕事も増えてきて
お呼ばれされる集まりも増えてきました
ほんっとーーーに有難い
少しずつ、地元になじんでいきたいな
私は週7日地元のことを考えているような感じで(大げさだけど、本当そんな感じ)
考えすぎて頭が煮詰まったり、
やりたいことが増えすぎてついつい突っ走ってしまったりと
最近はそういうことが続いてかなり落ち込んでいました
具体的にいうと、総務省の地域おこし協力隊のモデル事業募集に手を挙げようと
1週間で企画書を作ってみたんです(締切まで1週間もなかった)
初めての公的な募集への申請だったのでよくわからないことも多かったし、
総務省の担当者に毎日のように電話をかけて(おかげで担当者さんとは仲良くなった笑)
でも、さすがに着任してまだ2か月だし、そういうのを申請するのは早いんじゃないか?と、ストップがかかりました
ヒトモノカネとはいいますが、
カネからとりにいったらだめだということを学びました(いや、冷静に考えたらたしかにそうだ)
まずは、思いを共にできる仲間を集めることが大事みたい
時間がなかったから特急だけど、自分的にはかなり詰めた案だったので
さあこれから申請だ!関係者行脚だ!と思ったところでのストップは、正直かなーり落ち込みました
でも、めげてる場合ではないし、めげてる時間があるなら何かやれよって感じだし。
ただ、よくよく考えると
私が、つい想いが溢れすぎて突っ走っても、
これ以上出てはいけないところを察知して私にストップ!と言ってくれる
とってもバランス感覚が素晴らしい上司や周りの方々、両親、夫、友人がいるおかげで
今回は事故らずに済みましたw
この状況にほんっとーーーーに感謝してます。
こうやってストップをかけてくれる方々がいなかったら「あいつ突っ走ってんなー」って事故って終わるわw
そんなこんなで落ち込むこともあるけれど、私は元気です←魔女宅にこんなセリフあった気がする
ところで。
今日は地域おこし協力隊として地元に帰ることについて書きたいと思います。
地域おこし協力隊は総務省の制度で、平たくいうと地方に都会の人材を送り込み、まちを活性化させたり、隊員の定住化を目指すというものです
任期は1~3年で、毎年更新。任期中は国からお給料が出ますが、その間に任期終了後も続けていくナリワイ作りをすることがミッション
総務省 地域おこし協力隊
http://www.iju-join.jp/chiikiokoshi/
いまは約1000人の協力隊が日本全国で働いているらしい
ところでこの協力隊の制度、使うなら自分の地元に協力隊として入っていくのが良いよなーと最近ひしひし思ってます
今日はそんな「地域おこし協力隊として、ほかの地域ではなく、地元を選んで働くことの5つのメリット」について書きます
メリット1:「地元が大樹町です!」という言葉だけで1-2年くらい縮められる
協力隊としてよその人が入ってきても
「お前誰だよ」となるわけで、0から信頼を築いていかなきゃならない
そしてそれにはかなりの時間が必要になるとききます
しかし私の場合は地元へのUターンなので
「いやー私地元が大樹町なんですー。○○地区の出身なんですよー」と言うと
「おお!そうかそうかー!○○さんの娘さんかー!昔小さい時におじさん会ってるよー!!」
となります
つまり、お前誰だよから、○○さんの娘さんかー!と一気に距離が縮まる!!!!
この効果は大きいんです
基礎となる信頼獲得のために必要な1-2年は軽くすっとばして地域に入っていける
これはかなり大きなタイムカット
メリット2:地元に定住する意思をがっちり伝えられる
協力隊としてよその人が入ってきても
受け入れ地域としては「どうせ3年経ったらどこかにいっちゃうんでしょ?」的な不安?疑惑の念?は
どうしても出てきてしまうのかなーと思います
仕方ないことですね
その点、私は地元なので、地域の皆さんも「かえってきたんだねー!じゃあしっかり仕事作らないとね!」となる
だから色んな場所に呼んでもらえたり、ナリワイ作りのためのサポートをしっかりと地域側がやってくれるのです
地元にUターン=定住する意思をがっちり伝えられるのはいい!
メリット3:土地勘がある
結局自分の地元なので、
その土地ならではの歴史や文化、慣習とか、全部はわかっていなくても(忘れていることもあるし)
土地勘や勘所があるのは0から学ぶよりずっと良いです
メリット4:親が強面なのでみんなやさしくしてくれる(気がする)
私の父はパッと見ヤクザみたいな風貌なので
若い人だと怖がってる?人もいるみたいでw
なんだか、みんな優しくしてくれる気がしますw
というのは冗談だけど、町のひとも、私のことは知らなくても親や祖父母のことは知っているので、
○○さんの娘、孫ということが距離を縮めるうえでかなり威力を発揮してくれます
メリット5:お金がかからない
地元=実家がある
私はいま実家に住んでいるのですが、これがほんっとーーーーにいい
家賃&光熱費&食費で4万という格安っぷり
年収にして5-6割減したわが夫婦にとって
このエコノミーな暮らしは本当に助かります
地元だから成せる暮らし術(術なのか?)です
協力隊として縁もゆかりも無い土地に行くの良いですが、
町おこしをしたいならまず地元からやったほうがよいし、
地元を選ぶと色々とメリットも多いので
大変おすすめです
【2015/5/8の記事】シラカバ樹液のコーヒーを飲んでみた
地元に戻り、協力隊になり、
早1ヶ月が過ぎました。
北海道はすっかり春です。
桜も満開です。
桜の開花、本州から1ヶ月遅れですね。
数年前におっとと北海道に帰省した時にもちょうど桜が満開で。
「桜を2回も楽しめる僕たちはラッキーだね」
なんて言ってました。
穏やかな会話だなー。
先日地元でいろいろと面白い活動に取り組まれている
インカルシペさんにお邪魔しました。
インカルシペ
http://www.netbeet.ne.jp/~sirakaba/index.html
シラカバの森の中に木でできたコテージが立ち並ぶインカルシペさん。
シラカバってこんなに綺麗だったっけ?と思わず見とれてしまうほど素敵な風景が広がります。
シラカバの森の中にはハンモックやブランコもあります。
ゆったりここで昼寝をしたり、本を読んだりしたら、どんなに豊かな気持ちになるだろうか。
薪割りや薪サウナもあってゆったり流れる贅沢な時間を過ごせる場所。
そしてこのインカルシペさんのもう一つの特徴が
シラカバ樹液の料理!!!
え?シラカバの樹液って飲めるの??
私も地元に帰ってきて知りました。恥ずかしながら。
十数年前、地元でのらりくらりやっていた自分に言いたいです。
もっと地元に興味を持って、こんなにいいところがいっぱいあるのに、知らないなんてもったいない、って。
話は戻って。シラカバ樹液。
シラカバの樹液は雪解けの春先4月頃から1ヶ月の間しかとれないとても貴重なもの。
大地の雪解け水をいっぱい吸い上げたシラカバから分けていただく春の恵みです。
シラカバの樹液は北欧やロシアの方では、健康飲料として飲まれているのだそう。
ぱっと見は水のようにさらさらしているのだけれど、飲んでみるとほんのり甘い。
ミネラルや栄養素が豊富で、焼肉やしゃぶしゃぶに使うとお肉の旨みが増すみたい。
私は、インカルシペさんにお邪魔した時に
シラカバ樹液のコーヒーをいただきました❤️
お砂糖を入れていないのに、樹液のおかげで甘みが!!
おいしいー!!!
なんだか春の匂いがする!!気のせいかもしれないけれど!!
それでもいいの、だって樹液だもん!!
と、とても貴重な体験をさせていただけました🎵
シラカバ樹液のコーヒー、春だけの大地の恵み、
ぜひたくさんの方に飲んでいただきたいです。
あ、ちょっと地元のいい話っぽい。
こんな感じでちらほら地元のおいしい話・ちょっといい話も書いていきますよ。
【2015/4/15の記事】沢山のものを捨ててきたけど、その分新しいものが舞い込んできた。
「失うものは何もない」
何か新しいことを始める時、始めたい時、
私はそう心の中で自分に言い聞かせます。
いや、心の中でおさまりきらず、もう口から出ちゃってるかも。(独り言はげしい)
新しいことを始めるのはワクワクして楽しいけれど
本当にうまくいくのかな?失敗しないかな?
たくさんの不安もつきまといます。
この言葉、そんな不安でガクブルしてきた時に唱えると効果抜群。力みなぎってくる。
ふと今思うと、私はたくさんのものを置いて
この地に戻ってきたんだなと思います。
でも捨てると新しいものが舞い込んでくるとかなんとかどこかで聞いた気がするけれど、
まさにそれだなーとも思います。
この歳にしては結構高くて安定した収入を捨てて
ナリワイ作りにチャレンジする時間の猶予を得ました
遅くまで飲んでも大丈夫な毎日0時過ぎまで走る電車を捨てて
飲み会後のお迎えにきてくれたお母さんと20分のおしゃべりドライブを得ました
ちょっと歩けば何でも買える便利な都会生活を捨てて
食べものをつくることに対する農家さんの想いをきく機会を得ました
10年の東京・横浜生活で出会った友人や先輩後輩とすぐに会える距離を捨てて
地元の人たちとの新たな出会いを得ました
結構捨ててきたものも多いので、
これから他にどんなことが舞い込んでくるのか。
たのしみ。
今晩はまちの観光協会の総会に
お邪魔したいと思います。
新たな出会いを期待して。
【2015/4/13の記事】干物、漬物、はちみつ。地元の人たちの「自給力」はすごかった
今日、仕事から帰ると自宅の玄関先に
魚の干物が干されていました
おお、お母さん、干物まで出来るんだ!とちょっと驚き(ただ干すだけなのかな?簡単?)
お母さんに限らず、
地元の人はなんでも手作りするスキルを持っています
野菜を作ったり、山菜をとったり、
梅干しや漬物をつけたり、
梅酒を作ったり、
アイスやチーズ、お味噌まで自分で作ります
おっとの職場の先輩は
空いたドラム缶でペレットストーブでも作ろうか
と話していたそう
ストーブを自作するなんて発想、無かったよ💡
この土地は大きな街から離れているので、交通が不便でなかなか買い出しにも行けなかった時代、
おじいちゃんおばあちゃん世代が若い頃は、
どうやって冬を越そうか、冬の食糧をどうするかは死活問題だったそうです
だから、つけものをつけたり、チーズを作ったり、お肉や魚を保存食に加工したりと、
あれやこれやと知恵を働かせて冬を越していたんだそう
お米以外は買わなくても大丈夫、そんな生活
お米は育たない土地なので、それだけは購入していたんですね
今は、お金を出せばなんでも買える時代
便利なのかもしれないけれど
物のひとつひとつの有り難みが分かりにくくなっているように感じます
作ることの難しさや苦労がわかっていると
残さず食べよう、大事に使おう
ものに対する態度や心構えが
変わってくるような気がします
3.11 東日本大震災の後、スーパーからは食材や日用品が一気になくなりました
あの時に感じた、いのち・安全に対する不安
自分の生活に必要なものを作る技術や知恵を私は一つも持ち合わせていない
つくれること、つくれるものを一つでも増やしていきたい
お金は持っていなくても
暮らしの知恵を持っていれば
どうにかこうにか生きていけそうな気がします
暮らしの知恵袋
いっぱいに膨らませていきたいな
【2015/4/11の記事】地元大樹町にUターンして地域おこし協力隊になった話
この4月から2つの新しいスタートを切りました。
①地元大樹町にUターンして、地元いなか暮らし始めました
②大樹町役場で地域おこし協力隊として働き始めました
まず、①の地元いなか暮らしのこと。
まず暮らしの状況としては
・つまの実家暮らし つまの両親・祖父・おっと&つまの3世帯5人暮らし
・家は結構部屋数も多いので、妹と私の部屋の2部屋&1物置を私たちのプライベート空間として使用
・キッチン、洗面所、お風呂、玄関、リビングは共用
という感じ。
家の前は畑と森ばかりで、隣の家は1キロくらい先
最寄りのコンビニまでは車で20分(町中まで20分)
私の実家以上に田舎な場所を見たことが無いです、そういう場所です。
「両親と同居する」と言うと、大抵の友達は「うっそ!」と驚愕するのですがね、
いや、私も、正直どうなるかな〜うまくいくのかな〜と不安な部分が大きかったんです。
数週間経って、今の感想としては、
両親との同居、意外といいかも(・∀・)
何が良いって家事の分担。←超実利w
私は朝が弱くてギリギリまで寝てしまい
朝はバナナとジュースしか食べず1分1秒刻みでバタバタと準備する派だったのですが、
この春から夫婦揃ってお弁当になってしまった(今までは社食でよかった)
朝弱いのに、お弁当作りなんて出来るのかしら(いや、工夫次第で出来る、というかやりなさいって話だけど)
なんて心配もつかの間でした。
お母さん、毎日お弁当作ってくれてる!!朝食も!!ごはんと味噌汁と焼き魚が出てくる!!
母SUGEEEEEEEE!!!!!!
ただし夜ご飯は、私が担当。
その他、家の掃除や洗濯などもみんなで分担しています。
もともと夫婦で家事を分担していたのでかなり楽にはなっていたのですが、
両親同居を始めてさらに一人あたりの負担が減りました。
暮らしのルールを決めてお互いの生活を尊重していけばそんなに問題も起きないし、
プライベート空間があるから「一人になりたい・・・」と思ったら自分達の部屋にこもれば良いので、
なんか、親とシェアハウスしてる感覚?が近いのかも。シェアハウスしたことないけど。
「両親と同居」って言ったら肩身狭くて見苦しい・我慢といったイメージがあってネガティブだけど
「親とシェアハウス」って言ったらイメージがらっと変わりますよね。
あとは、やっぱり両親や祖父が本当にうれしそうにしていることかなと思います。
今まで3人で住んでいた家に私たちがやってきて、家の中がかなり賑やかになったのだと思います。
うれしそうな両親を見るのは子供としても、帰って来た甲斐あったかな〜と思えます。
②の地域おこし協力隊の話。
4月1日から町役場で勤務スタート。企画課づけだけれど、商工観光課に座っているので商工観光のお手伝いをちょこちょこさせていただいています。
初日に言われたのは「好きなこと、やりたいことをやっていい」。
協力隊任期中のいちばんの目標は
「協力隊の任期が終わっても続けられるナリワイを作ること」
それを以前から役場の皆さんにお伝えしていたので、
役場の仕事を手伝うサポーターではなく、
ナリワイを作り、どこかの分野を特定した活動ではなく町おこし全体を考える協力隊としての
お仕事をお願いされました。
協力隊といっても様々で、ひどいところだと、地元で募集が無い人気の無い仕事を協力隊にさせるという劣悪な環境もあると聞く中、
私たちの意図を尊重して、受け入れてくれた役場の方々に感謝しています。
ただ、「好きなことをやっていい」と言われて
いきなり「わかりました!がつがつやります!おりゃ〜!!!」となるような人間でも無い。
というか、いくつか選択肢がある上で選ぶとか与えられたことを必死にやる、という生き方や働き方ばかりをしてきたので、
いざ好きなことをやっていい、と言われるとかなり躊躇いがあります。
でも、ナリワイ作りってきっとこういうことなんだ。
自分で何に取り組むのか、力をかけるべきところを自分で選べる、選択の自由がある。
その分、うまくいってもぽしゃっても、全部自分の責任になる。
自由でシビアで苦しくて楽しいものなのかも。
今は、いきなり何かを始めるのではなく、
色んな方に会って、話を聞いて、町の状況を理解し、
複雑に絡み合った糸を一つ一つほどきながら、町の課題を見極めていきたいと考えています。
簡単に言うと町のことを知ろう月間です。
ブログを移してみた。
大樹町で地域おこし協力隊になってから約1年。
ブログを全く更新していないのですが、
これからちょこちょこ更新していきます。
まずは前のブログの記事をいくつか移動します。(こういうことって普通やるのかしら??笑)